純文学と純喫茶――そもそも純文学とは何なのか

  • 2016/11/17
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○純文学と純喫茶——そもそも純文学とは何なのか

純文学とは何か。昔から飽きることなく繰り返されているテーマです。何度も蒸し返されてきたのは、これという結論を出せていないからですね。
思うに、議論の運び方がよくないんじゃないかと。
「純文学とは何か?」と問われたときにやってしまいがちなのは、問題を「純文学の”本質”とは何か?」にうっかり変換して、満たすべき条件を考え始めてしまうことです。
娯楽性よりも芸術性が大事で、文章の質は高く、文体は個性的で、企みに満ち、実験精神に溢れ、人間や社会、世界に対する洞察に富み云々……。漠然と想起されるのはそういったイメージではないかと思います。なかには私小説こそが純文学だという人もいるでしょう。
しかしこれは大変に筋が悪い。
なぜなら純文学全体を見渡したとき、その総体から抽出される、純文学作品すべてに共通する”本質”なんてものはないからです。
たとえば純文学を象徴する、というより事実上規定している芥川賞の、ここ10年くらいの受賞作を振り返ってみましょうか。

「芥川賞受賞者一覧」(日本文学振興会)http://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/award/akutagawa/list.html

見事にバラバラですね。印象的なのは、第144回の朝吹真理子と西村賢太、第146回の円城塔と田中慎弥の同時受賞です。どちらの回も水と油と言っていいくらい対極的な作品の取り合わせで、日本語で書かれているということくらいしか共通性を見出せません。
作品の質や特性という観点から何とか純文学とそれ以外を分ける境界線を描いたとしても、すぐに例外が見つかったり、はみだす作家や作品が登場してきたりします。

一例をあげれば、ちょっと前まではSF的な作品が純文学であるとされることはまれだったのに、円城塔以降と言っていいと思いますが、上田岳弘や宮内悠介といったSF的な作風がためらいなく純文学として扱われるようになりました(宮内はSFも書いていますが)。

純文学の”本質”を云々する議論は大体このあたりで手詰まりになります。筋が悪いとはそういう意味です。

・純文学の“純”は純喫茶の“純”

見方を変えてみましょう。
“純”文学というからには、対立するものとして”不純”文学があるはずです。ご想像のとおり、大衆小説、エンタメ小説がそれに当たります。芥川賞と直木賞の関係に相当するわけです。
しかし、ことさら“純”と強調することには何か含みが感じられますよね? わざわざ“純”を被せなければならなかった事情がそこにはあったはずです。
ところでトリビアなんですが、純文学の“純”は純喫茶の“純”から採ってきたものだと書かれた文章があるのです。昭和まではどこの街にもあった、あの純喫茶です。
1935(昭和10)年に横光利一が発表した「純粋小説論」をきっかけに論争が起こったのですが、そのとき詩人・作家の森山啓がこんなことを言いました。

「純文学という言葉も元来妙であって、喫茶店的用語であった。「純喫茶」の店には、酒もないことはないが、その名称は自分をバーからは区別している。「純文学」も、社会的イデオロギーの文学的形態の一種であったが、自分を「通俗文学」とプロレタリア文学とからは区別して来た。しかしプロレタリア文学や「通俗文学」は、自分の性質をプロレタリア的とか「通俗的」とか特徴づけているのに「純文学」だけは、自分の性質を「純」と呼んで来たのである。これはごまかしであって、「自分は純人間です」などと云えば、自分の人間としての具体的性質について何事も語っていないだろうのと、同様である」(「小説論における必然と偶然」『文藝』1935年5月号)

純喫茶が“純”を付けてバーとの差別化をはかったのを真似て、純文学は“純”という字を被せることで、プロレタリア文学や通俗文学から自分を区別しようとしている。やり口がせこいじゃないか、というわけです。
純喫茶という名称がいつ登場したか、はっきりした資料が見つからないのですが、大正末から昭和初期、1926〜33年あたりのどこかではないかと推測されます。
それ以前、大正時代には、カフェと呼ばれる、女給が隣に付き話し相手をして酒も飲ませる形態が主流だったのですが、昭和に入る頃からサービスがエスカレートし、性的なことまでするようになります。エロ・グロ・ナンセンスの時代ですね。
その一方で、おれはただコーヒーが飲みたいだけだという客向けに、酒は出さず女給は給仕するだけの店が現れてきます。これが純喫茶になるわけです。対してサービス過剰なほうは特殊喫茶と呼ばれるようになります。
この分岐が大正から昭和へ移る頃にあって、その後、規制が入り、1933(昭和8)年の「特殊飲食店取締規則」を境に特殊喫茶は衰退します。日中戦争に向かうこの時期、ダンスホールやキャバレーなども規制が強められていきました。

・純文学の確立

純文学という概念が確立してくるのも1926(大正15)年から少し後のことです。この年、改造社が「現代日本文学全集」を各巻1円という破格の廉価で売り出し、未曾有の「円本ブーム」が起こりました。起用された作家たちは突如、印税長者となります。
その前年には、大日本雄弁会講談社(現・講談社)の娯楽雑誌『キング』が創刊し、100万部という前代未聞の部数を叩き出しました。雑誌市場の急成長はそれ以前から始まっていて原稿料も高騰していました。特に女性雑誌が急増し部数を伸ばして稿料も高く、菊池寛や久米正雄といった作家たちは女性誌に通俗小説を書き飛ばし、文芸雑誌の5倍前後という高額な原稿料を手にするようになります。
出版バブルです。このバブルを機に大衆小説がジャンルとして隆盛することになるのですが、円本ブームが終わった後、大衆的、通俗的でない文芸は冷え込んでいきます。1935(昭和10)年に起こった「文芸復興」は、雑誌・円本で売れっ子になった作家を中心に据え巻き返しを目論んだ運動でした。芥川賞・直木賞が創設されたのもこの年のことです。
純文学という呼称がことさら強調されるようになったのはこのタイミングです。繁栄する大衆小説に対し、存在価値を訴えるためにこっちは“純”なのだと主張したのです。それゆえ森山啓は「ごまかし」だと批判したわけです。
大岡昇平も1961(昭和36)年に起こった純文学論争のなかで「「純文学」という概念自体、大正末期の大衆小説台頭に対抗するために形成された消極的な概念である」と冷ややかに見ています。証言は他にもいくつか引けるのですが、ともあれ比較的近年まで、純文学の概念と地位は意外と揺らいだものだったことがわかります。
さて、純文学の“純”は純喫茶の“純”であった! で話が落ちれば大変面白いのですけれど、実は困ったことにそれ以前にも用例があるのです。1892(明治25)に内田魯庵が、翌93年には北村透谷が用いているのが確認できます。ただしこのときの「純文学」と、昭和初期からの「純文学」はあまり連続しておらず、その間の使用例も極めて少ないです。しきりに使われ出すのは1935(昭和10)年前後からのことで、純喫茶のブームを見てまったく無関係に案出されたか、リバイバルされたのではないかというのが僕の仮説なのですが、いかがでしょう?

・純文学という「制度」

純文学はその後も絶えず危機と衰退を叫ばれつつ、しかし制度としては盤石さを増して現在に至ります。他方では、サブカルチャー化を図ってみたり、演劇や音楽、お笑いなど文芸外から人材を取り込んでみたり、大衆文学サイドと作家をシェアしてみたりと内実を絶えず変転させてもいて、その輪郭はいよいよ模糊としてきた印象です。
では、純文学とそれ以外とを隔てている壁は何なのでしょう。
村上春樹は以前「文壇」をこう定義してみせました。それは「大手出版社文芸誌ネットワークに支えられた業界」なのだと(『考える人』2010年夏号)。
文芸誌とは純文学の専門雑誌のことです。「文壇」にさんざん苛められた春樹ならではの意地悪な見方に思えますが、でも実のところ、これ以外に定義のしようがないのです。とするなら「純文学」の定義はこうなるでしょう。
純文学の専門誌である文芸誌に掲載された小説が純文学である。
あからさまにトートロジーです。でもこれが穿った見方でないことは、純文学を司る芥川賞がその候補を、いわゆる5大文芸誌(文學界、新潮、群像、すばる、文藝)、および主催組織がそれに準ずると見なしたいくつかの文芸雑誌に掲載された作品からしか選出しないという事実が裏付けているでしょう。仮に後世で天才と呼ばれるようになる新人作家がいて、文学表現の可能性を著しく切り拓く傑作を書いたとしても、文芸誌およびにそれに準ずる雑誌に掲載されないかぎり、芥川賞を獲る可能性はゼロです。単行本で書き下ろしたらその時点でアウトなのです。
この事態は裏返せば、ミステリだろうとSFだろうとファンタジーだろうとライトノベルだろうと、文芸誌に載りさえすれば純文学になるということでもあって、実際、そんな例はたくさんあります。
純文学であるか否かの判定において、質だの本質だのは関係ないのです。それは「制度」が決めることだからです。美術館(ホワイトキューブ)に置かれさえすれば、どんなものでも——そう、便器でさえ——作品になってしまうモダンアートの制度とよく似ています。
批評家の佐々木敦は『ニッポンの文学』で、いま述べたのと同様の議論をした後に、純文学は、ミステリやSF、ファンタジーなどと同じ「ジャンル小説」と見なすべきだという提案をしています。文芸ヒエラルキーをなし崩しにしてしまおうという意図のものですが、しかし残念ながらその程度では制度は崩れないでしょう。その程度で壊れるものならとっくの昔に崩壊しています。
純文学という制度は、内実は空っぽで、それゆえに手強いのです。

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栗原裕一郎

栗原裕一郎

文芸、音楽、経済学などの分野で執筆活動を行う。 著書に『〈盗作〉の文学史』(新曜社。第62回日本推理作家協会賞受賞)、共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(企画監修、日本文芸社)、『本当の経済の話をしよう』(若田部昌澄、ちくま新書)、『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美、原書房)、『バンド臨終図巻』(企画・速水健朗、文春文庫)など。
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